プロランナー・大迫傑と再会したのは東京オリンピックでのレース1週間前だった。依頼内容はレース直前・直後の独占インタビューだった。そう、引退を発表した頃の大迫。あれから3年、大迫傑という人を特等席からドキュメンテーションして来たように思う。撮影させていただける日時が決まるとどんなに遠くてもトレーニングやレース会場へ出向く。その場所の多くは国外だったがエネルギーが溢れた。

練習(撮影)前日に「無事到着されましたか。明日朝6時にこちらでお願いします」というシンプルなテキストと一緒にGoogle Mapにピンが落とされる。ロードの練習であればスタートライン付近、トラック練習であれば競技場。僕の知る限りのこの3年半、大迫は練習時間に遅れたことは1秒もない。朝6時と言えば、5時55分には到着して軽く走り出している。規律を重んじているのだと思う。約束の練習場所で目が一瞬合うと必ず軽く会釈をし、撮影クルーの居場所をなんとなく認識し、練習スタート時間になると迷いなく走り出す。敬意を大切にしているのだと思う。

練習直前になると誰にもない独特な雰囲気が放たれる。リラックスしているように見えるがどこか張り詰めた緊張感も感じる。ここから先は誰も入れないような異様な境界線が見えてくる。この線を超えることを許されている人物がひとりだけいる。コーチのピートジュリアンである。ピートは哲学者のような人で、大迫とピートの時間は凄まじく尊いことのように感じさせてくれる。
2024年、Sunset Jokersというイベントを終えた大迫はもの凄い速さでギアを切り替えて行った。長野 > ポートランド > ボルダー > フラッグスタッフ > そしてサンモリッツと軽快にかつ自由に移動しながらトレーニングを積み上げてゆく。好きなランニングに飽きたりしないように、そして質の高い練習と情熱をSustainさせる工夫をしているように映る。最終調整地であるサンモリッツで練習後の15分、美しい湖のほとりを一緒に歩きながらインタビューをすることになった。湖周を半周してホテルへと続く帰り道。お互いの時間を無駄にしないよう尊重しているように感じた。全メディアシャットアウトしている時期という事実が緊張感を連れてきた。練習直後でまだ汗が滴り落ちる中、ゆっくり呼吸を整えるように質問に答えてくれた。

*インタビュー日時:7月26日2024年

Q 東京オリンピックを終えてから、引退した時間などもありましたが、もう一度走り出しましたよね。正直、パリオリンピックに間に合うと思ってましたか。

「3年の体感はあっという間ですよね。正直、どこまで戻せるかなとは思っていたんですけど、思っていた以上に戻せてこれたと思います。戻せたというよりは、ちゃんと競争力が高いところまで辿り着いたという感じです」

Q 2021年の冬、沖縄県石垣でトレーニングして、2022年に日体の記録会に突然出走されました。そしてそこから半年ぐらい経過してNew York Marathonを走ってますが、手応えはあったのでしょうか。

「そこは結構上手に行けてたかなと思いますね。予定通りですね。」

Q そして2023年のMGCの出走権を得るためにTokyo Marathonを走ったと思いますが、その時の手応えは。

「東京の時は練習もかなり順調にできていたので、わりと戻っていましたね。とはいえニューイヤー駅伝を走らなければならず、いつもとは違うスケジュール感だったこともあり、どうなのかなと思っていたんですけど、イレギュラーのスケジュール感のわりにはしっかり走れたかなと思いますね」

Q  Playing Director(選手兼コーチ)という職務があったこともあり、駅伝チームを見ながら、そして自分自身も駅伝に参戦されながらという特別な時期だったと思いますが、そのあたりはどのようにマネジメントされていましたか。

「どちらかというと気持ちの問題が大きかったと振り返ります。急かされているような感覚がありましたね。当然、駅伝を走るもしくはチームをディレクションすることによってお金をいただいていることもあり、他の選手以上に緊張感があったと思います。特別な仕事に対してエネルギーを使っていた印象です。それでも他の場所でうまく抜くことによって、自分のモチベーションをキープできたと思っています」

Q 年に2回マラソンを走るというタイムラインのアスリートだと思いますが、ここ2年間、駅伝レースが入ってくる難しさはありましたか。

「やりづらさは正直ありましたね。自分だけの身体だったらそれをコントロールすることに集中すれば良いですから。自分の思っていること、やりたいことを実現する時、僕の場合は3年から5年のロングタームで考えることが多いです。ですがチームが考えているスパンはショートタームで「すぐに優勝を狙いたい」ということもあり、その部分の調整に難しさがあったように思います。大きなことを成し遂げるには、十分な準備、プラン、そしてアイデアが必要ですから。それでも、お互いに歩み寄りながら良い方向に向かってこれたように思います。個人でマラソンを継続しながら、チームをリードするという貴重な経験にもなりましたね」

Q 2024年3月、パリオリンピックが決まった時の率直な感想は。

「2023年10月の段階ではすでに3番に入っていたので、状態的には良いトレーニングを積めていました。間に合った、間に合ってないというよりかは、成長できているという実感がありました。ただ僕が一番嫌だったのは、決まらないという不安定さですね。誰かがその時点でダメって切ってくれれば、10月や12月の記録を狙えるマラソンにシフトしようと思っていたのですが、そこに向けての目標やプランも決まらないという状況。オリンピックを狙えるのか、もしくは10月12月くらいのレースを狙えるのかが決まらないもどかしさがありました。そこがはっきりして、目標が明確に決まって良かったなという気持ちが大きかったですね。もちろんオリンピックは注目度の高い大きな大会ですし、パリを走れるというのは嬉しいことではありますね」

Q 2024年4月、ボストンを走って感覚的にはもう少し良いレースができたんじゃないかなという気持ちがあったという話をされていましたが、どのように捉えていますか。

スケジュール感などでいっぱいいっぱいになっていた時期でもありましたが、その中でも後退せずに現状維持ができたような走りだったと思います。その頃もトレーニングはしっかり忍耐強くこなせていましたし良かったんじゃないかなと思っています。

Q Sunset Jorkersという完全なオフのランニングイベントを挟んで、場所を変えながらどんどんギアチェンジしてきたような印象があります。さまざまな場所へ行ってトレーニングされていますが、なぜでしょうか。

「切り替えは大事だと考えています。今回は場所を変えて、段階を踏んでやってこれたなとは思います。心機一転ではないですけど、切り替えのポイントを作って、半強制的に自分の気持ちを変えるっていうのは必要なことでそれがしっかりできたと思います」

Q 長野、ポートランド、ボルダー、フラッグスタッフ、サンモリッツ、そしてパリ。車のギアを1速2速3速4速って徐々にギアを上げていく感じですね。

「まさにそういうイメージですね。」

Q 今サンモリッツにいて、レースまであと2週間というタイミングですが、少し振り返って成長したなという部分はありますか。

「常に自分に勝ちに行ってるし、違うところはあまりないです。コアな部分以外に、駅伝を走るとか、いろんなことがあり競技的な部分はもちろんですけど、精神面でも成長できているんじゃないかなと思いますね」

Q 3年間で迎えるレース、シンプルに何か想いはありますか。

「まだ2週間あってレースのことを考えれてないってわけじゃないですけど、どこまでできるか、みたいなことを初マラソンの時とかって意識してたというか、楽しみにしてたと思うんです。今もそんな気持ちになりつつあるんで、それを純粋に大切にして、残りの2週間で良い意識を引き寄せていけたら良いんじゃないかなと思いますね」

Q 楽しみですね。

「そうですね。フランス楽しみです」

大迫傑がどのようなレースをパリで繰り広げるのかは想像がつかない。そして現在の調子の良し悪しなども知る由もない。ただはっきりと分かっていることは、彼がメダルをとってもとらなくても、入賞してもしなくても今まで積み上げてきた想像を絶するハードワークが見せてくれる景色は、彼が練習してきたどの場所よりも美しいということ。そして神様は信じられないけれど祈るように応援したいということ。大迫くん、いつものように走るというよりは跳ぶような感じでパリを駆け抜けてください。

インタビュー・文章・写真:足立公平