Short Film

何者。

大迫: ではお聞きします。道下くんって何をしている人ですか?

道下: 医者ですね。脳外科医で手術もしたりします。今日も手術を終えて自分のクリニックに戻ってきたところです。日本だと”医者”と言うとどうしても”お医者さま”のニュアンスがあって、凄く距離の遠い存在に感じられることがあると思います。僕がいろんな方々の死に出会って(向き合って)きて自分のできることというのはそれほど多くないということを痛感してきました。医療というのはインフラのひとつと捉えているという事を先ほど少し言いましたが、もう少し具体的に説明すると水や電気の存在と同じように、本当は物凄く分かりやすいものであり、敷居の低いものであるべきだと考えています。最近体調が悪いとか、精神的に気になっていることがあるというケースに今すぐに関わっていただける存在であるべきだと思います。そのような存在になるための仕組み作りをしているというのが、自分のやっていることになります。

2人の出会い

道下: お互い共通の, とある人がいて。

大迫: そうですね。知人を介して知り合った感じで。

道下: その知人は額縁屋の方で。その方もすごい思想が深くて僕が生きる死ぬとか、いわゆる宗教とか哲学だけじゃないところの向き合い方についていろいろと話していた時に「傑くんもそういうような考えや、深いところが合いそうなので、お互い会ってみたらいいんじゃないの?」っていうところがきっかけでしたね。今日会うのは何回目かな?3、4回目だけど、いろいろと話したよね。

大迫::いろいろとね。酔っぱらうとまたいい感じにリラックスして話せますよね。

道下: いい感じにw

お互いその道のプロ。共通点は。

大迫: ベースって言ったらいいのか分かりませんが、痛みと死って似てたりする部分があると感じています。またそれらと向き合う時にどういう思考でいると一番自分が自分にとってハッピーでいれるのか、みたいな部分は、道下くんと僕は全然違う世界に生きているようでいて、意外と共通する部分が多い。考え方も似てるなっていうのはあります。

道下: そうだね。例えば手術をする時とかは平均6時間から8時間で、長い時は20時間とか超えて   しまいます。その時に本当にちょっとした1mmの集中が切れた時の致命的なミスが死に繋がってしまいます。なので、僕はゾーンに入った状態で細かい手術をやるのですが、傑くんはランナーで違うジャンルの人なのですが、長い時間、自分の中に入り込みながらさまざまな起伏も上手い具合に乗り越えながら前に進んでいる。こういうポイントはとても似てるのかなって思います。精神性のところですね。僕の解釈を表現するならば、川の中を笹の葉が流れるように、転覆はさせずに、目的地は決まっていて、だけど遠回りしちゃうこともあるし、揺れることもある。でも前に進まなければならないというような感じです。
大迫: そうですね。マラソンにおける走りという側面にもそういうZONEや状況判断の連続はあります。僕の場合は「ずっといい状態でふわふわしてる」というか。ふわふわっていうか、抗わず逆らわずにできるだけ自然な状態で前へというイメージですね。とても感覚的になってしまっていますがw、でもはっきりとフワフラといい状態で進んで行くんですよね。

今あるチャレンジ。

道下: 僕の場合、一番のチャレンジは死との向き合い方ですね。脳外科の中でも、特殊な血管を繋ぐバイパス手術を得意としてやっています。まだ年代的には若いのですが、去年とかだと神奈川県で一番症例をやっていたりします。なので件数だけでいうと、どの大学病院の教授の方々よりも僕がやっている数が多い状況です。まだ大学の頃に一時期ハーバードに行ってた時がありました。その時に最高峰の医療を現場で見させてもらったという経験の中で、死に向き合う時のあまりの無力さや、豊かさの欠落ということをすごい実感させられました。そこで頭によぎるのは、医療が進んだせいで、死ねなくなってるなっていう責任でした。今の医療ってどう生かすかばっかりで。生きてる時間ってはたして本当の意味で豊かなの?というところを僕はすごい疑問視しています。なので僕は全部ひっくるめて死のプロデュースをチャレンジとして明確に置いています。

大迫: 「生きてる時間」「本当に豊かなのかどうか」というような言葉選びが刺さりますね。

大切にしていること。

道下: 僕はその業界とか固定概念にあまりこだわりがなくて、おそらく傑くんもそうなんですけど、好奇心がすごい旺盛だから、僕の周りのいわゆる医者たちは凝り固まっていない人たちばかりです。傑くんからもそういうところを感じますね。自分が知らない世界があまりにもあるんです。そうなった時に自分が見えてる目の前のことをトップレベルまで引き上げていくということは最低条件で、おそらく3つぐらいの項目をトップレベルに引き上げることができないと、唯一無二にはなれないと10代のころから思っています。本職が脳外科医であれば、まずは早いうちにたくさんの手術をして、できるだけ多くの方を助けるというのは僕の中で最低条件だったりします。昔からのしきたりをリスペクトしながら、次に向かっていく必要があるんじゃないかと思っていますね。

大迫: そうですね、僕の場合は本当に競技のレベルを上げるっていうのはもちろんですし、その上げ方というのも大事だと考えています。今までのやり方や考え方みたいなものが本当に正しいのかどうか。こういう風に真っ直ぐに突き進んで行こうとしてたけど、実はそれがまっすぐじゃなかったりしますよね。誰しもが当たり前にやっている練習、そしてその練習の正しさや精度みたいなものに対してまず冷静に疑ってみる。こんなことを思考の中で意識的に大切にして毎日過ごしていたりします。道下くんは、シンプルさの中にも複雑さが同居していたりするところがあると感じています。

一方僕はそこまで同時にいろんなこと考えたりするタイプではないので、難しさを全て取っ払って、超シンプルに考えるようにしています。

道下: それが一番難しかったりしますよね。

この場所 (AFRODE) を病院ではなく、クリニックと呼ぶ理由。

道下: 僕もいろいろ医療を見てて、医療もしかしたらスポーツ業界にもあるかもしれませんが、人をより健康に、よりHappyにしていくとなった時に, 日本だと予防医学ってよく言うと思います。頻繁にお薬をもらいに行ったり検診をしたりっていうような制度になってしまっています。そこって保険診療の壁が大きく存在していて、保険診療って収益をちゃんとまかなうためには患者さんに病院に来てもらって検査をし、お薬を出すという構造です。お薬を出ということがおそらく一番確立された現状のサブスクリプションモデルです。ですが病院側からすると薬を出さないと儲からないから出さなきゃいけない。でも果たしてこれが患者さんにとってBESTな選択肢なのかどうか?というところは疑問視すべき点だと思います。ではどういう風になったら健康を維持できるかと考えると、唯一無二の方法は習慣を変えるしかないと思います。習慣ってつまり食事、運動、メンタリティなど。いろんな生活に関わること全てを変える必要があります。そうなると「病院」という枠だと絶対おさまらないのは明確です。薬はしっかり飲んでるけれど「じゃあ健康で楽しんでハッピーでいられるか」というと、ある程度で期限切れが来ます。何かを変える必要が必然的にあり、それが日本だと今は「食事はオーガニックレストランに行きますか」とか「運動はパーソナルトレーニング行きますか」と全部が繋がっていない状態です。それらを全部繋げるために僕は軸として医療を置いています。より良い選択肢を提供していくための空間が、AFRODEという唯一の場所と捉えています。確かな情報を確かな伝え方でするっていう気持ちでいます。

CONTRIBUTIONという観点で何か思うことは。

道下: 僕は以前大学病院に所属で、慈恵医大に所属していて3月でそこを離れました。ということもあり手術の件数自体は物凄く少なくなっているのが現状です。離れるという選択肢をとる際に、「なんで今?脂がのっててきて今からでしょう。なんで辞めるの?」という言葉は本当に多くの方々に言って頂きました。いろいろな考え方があると思うのですが、脳外科医として、僕や僕らのチームが手術を成功したことによって助かった命はもちろんたくさんあると思います。ですが冷静に振り返ってみた時、「実際にどのぐらいの命を僕がこの一生をかけて救えるのか?」と。一般的に脳外科医の人たちが言うには、せいぜい50人から100人くらい。目の前の1人の命を救うことは、本当にすごい意義があることだというのは間違いありません。ただ僕が自分らしく何ができるかなって考えた時に、その一人にかける時間で、数千とか数万の方々を救いたいと本気で思っているんです。そのためには、医療の考え方やその根本や仕組みを変えなきゃいけないなと思って、今自分がこういうことをしています。大迫くんも貢献っていう意味では、何か考えてることがありますよね。

大迫: そうですね、貢献っていうことを考える時に、今の話でいうと自分が1人でできることってすごく限られているというのは同感です。陸上の世界でいうと、自分の記録っていうのは伸ばすことに関してはそれこそ寿命がありますよ。一方、システムや環境を整えて行くことによって今後可能性のある未来のアスリートに貢献できたりするのかな思っています。小さくても1つの点やその始まりが、いつしか輪として機能するパワーになっていくと思うんです。その具体例がSugarEliteだったりします。自分が生きている間に達成できることなのかどうかはまだ見えませんが、例えば50年後100年後ってなった時に、そこで大きく変わってることの方が意味があるかなってモチベーションを感じながらやっています。点を繋いで輪にした時のスポーツの持つチカラや強さが次に繋がっていくポジティブを生むことは確かな事だと思っています。